西暦(年号) |
年 令 |
事 項 |
|
1867年(慶応3) |
0歳 |
5月18日(旧暦4月15日)、父・弥兵衛、母・すみの次男として和歌山城下橋丁に生まれる。 |
1875年(明治8) |
8歳 |
『和漢三才図会』(105巻)の筆写に励む。
この前後に『本草綱目』、『諸国名所図会』、『大和本草』なども筆写。 |
1884年(明治17) |
17歳 |
9月、大学予備門に入学。同級生に夏目漱石、正岡子規ら。 |
1886年(明治19) |
19歳 |
2月、予備門を退学、渡米(12月) |
1887年(明治20) |
20歳 |
1月、サンフランシスコに上陸、同地のパシフィック・ビジネス・カレッジ、のちランシングの州立農学校へ入学、同時に植物調査を行う。 |
1891年(明治24) |
24歳 |
4月、フロリダ、キューバなど各地で植物を調査。
キューバで採集した地衣類の一種は新種と認定された。 |
1892年(明治25) |
25歳 |
9月、ニューヨークからロンドンへ渡る。 |
1893年(明治26) |
26歳 |
9月、大英博物館への出入りを許され、東洋関係の文物の整理をしながら読書と抄写に励む。
10月、週刊科学誌『Nature』に「東洋の星座」を発表。
ロンドン訪問の土宜法龍と会い親交を結ぶ。 |
1895年(明治28) |
28歳 |
4月、大英博物館の図書館に通い、民俗学、博物学、旅行記などの筆写を開始し、筆写ノート「ロンドン抜書」は帰国までに52冊となる。 |
1897年(明治30) |
30歳 |
3月、大英博物館東洋図書部長 R・ダグラスの紹介で孫文と会う。 |
1900年(明治33) |
33歳 |
生活の窮迫から9月1日、帰国の途につく。
10月15日、神戸に上陸、弟・常楠に迎えられ和歌山市に帰る。 |
1901年(明治34) |
34歳 |
10月、熊野入り、那智山周辺の隠花植物を調査。 |
1904年(明治37) |
37歳 |
9月、那智での研究生活を打ち切り、田辺へ(10月)。 |
1906年(明治39) |
39歳 |
7月、田辺闘鷄社宮司の四女田村松枝(27歳)と結婚。 |
1909年(明治42) |
42歳 |
9月、神社の合祀と森林伐採に反対する意見を「牟婁新報」に発表。 |
1911年(明治44) |
44歳 |
3月、柳田国男より来信、以後文通を重ねる。
9月、松村任三宛書簡二通が柳田により「南方二書」として刊行され、識者に配布される。 |
1921年(大正10) |
54歳 |
1月、自宅の柿の木より発見した変形菌を新属新種ミナカテルラ・ロンギフィラと命名したとの知らせをG・リスターより受ける。 |
1926年(大正15) |
59歳 |
11月、門人小畔四郎らと協力して変形菌標本90点を摂政宮(後の昭和天皇)に進献。 |
1929年(昭和4) |
62歳 |
6月、南紀行幸の昭和天皇に進講し、変形菌標本110点を進献。 |
1935年(昭和10) |
68歳 |
12月、神島が文部省より史蹟名勝天然記念物に指定される。 |
1941年(昭和16) |
74歳 |
12月に入ると萎縮腎で臥し、やがて黄疸を併発する。
29日午前6時30分永眠。 |