柏谷 博之(かしわだに ひろゆき)
(退官)
国立科学博物館では東京文化財研究所と協力してアンコールワット遺跡群の保護活動を推進しています。 この活動は2005年度から始まり、今年7月に2回目の現地調査を実施しました。 調査対象は地衣類と蘚苔類で植物研究部の柏谷博之(地衣類)、 樋口正信(コケ類)、文 光喜(外国人共同研究員、ソウル大学、地衣類)が参加しています。 ここでは遺跡群に生育する地衣類を紹介します。 |
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調査はタ・ネイ遺跡で集中的に実施し、生育している地衣類の種類と生育状況を明らかにすることを第一の目標としました。 調査の結果、ラテライト(鉄分を多く含む赤色の石)と砂岩で作られた建造物の表面は建物の基部から屋根の上まで被度90%以上が地衣類(+コケ類)で被われていました。 観察された主な地衣類は固着地衣類のホルトノキゴケ属Porina、コガネゴケ属Chrysothrix、レプラゴケ属Lepraria, Letrouitia、鱗片状地衣類のFlakea、ウロコイボゴケ属Phyllopsora、葉状地衣類のクロボシゴケ属 Pyxine などでいずれもカンボジア新産であることがわかりました。 |
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タ・ネイ寺院の地衣類 地衣類は菌類の仲間で藻類と共生して生活しています。地衣類には高温、低温、乾燥など他の生物が苦手とするようなきびしい環境に適応して分布する種類も多く、極地から熱帯まで地球上に広く分布しています。地衣類は医薬品、大気汚染の指標植物、飼料などにも利用されますが、中には建造物や石像文化財に侵入して悪影響を与えているのではないかと懸念される現象も指摘されています。 タ・ネイ寺院(図1)は12世紀頃に建築された遺構で基礎部はラテライト、上部構造物は砂岩でできています。基物上に生育する地衣類は建造物を傷つけないように細心の注意をはらって採集し、研究室に持ち帰りました。カンボジア産地衣類については過去に報告された学術報告はありませんでしたが、標本を分類学的に検討した結果、現在までに18種が確認されました。また、これらの地衣類と共にコケ類、ラン藻、緑藻(Trentepohlia)が生育していることもわかりました。 建造物の部位ごとに生育状況を分析した結果、量的な差は見られるもののラテライトと砂岩では生育する種類に基物の違いによる差は見られませんでした。しかし、Gymnographa heterospora やFlakea papillataは砂岩上だけに生育しています。また、基部にはFellhanea,Phyllopsoraが多く、日の良く当たる屋根部にはPyxine, Dirinariaなどの葉状地衣類が良く生育しています。 地衣類はアンコールワットの遺跡を広く被っています(図2)が石造建造物を破壊する作用があることはこれまでの文献でしばしば指摘されています。固着地衣類の髄層菌糸が基物(岩石)内に浸入することはよく知られています。地衣類が岩石を破壊する実際の過程や早さについての研究は今後の重要な研究課題です。 地衣類の除去については、2003年から実施しているコレトレール(地衣類除去剤、日本製)散布後の経年変化を観察した結果、薬剤塗布後3年目でもその有効性を確認されました。 地衣類とは別にアンコールワット遺跡群では樹木の根が建物に侵入し、石組みを大きく破壊している様をあちこちで目にしました(図3)。 このような樹木が建物に影響を与えないような管理法の確立が望まれます。 |
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(退官)