今からおよそ1800〜1300万年前、北太平洋沿岸にはデスモスチルスと呼ばれる奇妙な海生哺乳類が生息していました。この仲間は、1888年に最初の化石が報告されて以来、特異な形をした歯の化石しか見つからなかった時期が長かったため、ごく最近まで「幻の奇獣」と呼ばれていました。そして、最初の発見以来120年経ってなお、この動物がいったいどこで何を食べていたのか、未だに意見が一致していません。幸い、国立科学博物館(NMNS)には世界で最初に発見されたデスモスチルスの頭蓋が所蔵されていることから、私はこの問題を解決すべく、顎運動の形態機能解析を改めて行なうと共に、共同研究者と共に歯の表面に残された細かな摩耗痕や体内で歯が作られたときの元素組成(同位体比)などを調べています。現在、私たちはおおよそ「これが結論」といえるような仮説にたどり着きつつあります。この謎に包まれていた絶滅哺乳類の古生態を、私たちがどのように解き明かしたのか簡単に紹介しましょう。
デスモスチルスとはどんな動物か?
デスモスチルスとは、ラテン語で「束ねた柱」を意味します。文字通り、臼歯の一つ一つの咬頭が柱のように円柱状をなしていて、それらが束ねられて一本の臼歯をなしていることから、目(もく)の分類名も束柱目と呼ばれています。束柱類は、1300万年前に絶滅してしまっていることや、現生の哺乳類でこのように特異な形態の歯を持つ種類は全く存在しないため、この動物が何をどうやって食べていたのかについて、さまざまな意見がありました。
歯の微小摩耗痕と安定同位体(ミクロと化学の眼)
デスモスチルスの食性についての代表的な意見の一つは、二枚貝などを殻ごと圧砕して食べていたというものでした。たしかに、一見すると厚いエナメル質でできた円柱状の咬頭は、固い殻を持つ二枚貝をものともせずバリバリと食べてしまえそうです。そこで、私は共同研究者と共に、実際に食物が接する歯の咬合面をデジタルレーザー顕微鏡などの最新の計測機器を用いて観察するとともに、体内に取り込まれた水分の塩分濃度と何から栄養を取り込んだかを反映する酸素および炭素の安定同位体の割合についても同位体分析装置を用いて調べてみました。
結果(その1)
共同研究者の樽 創さん(神奈川県立生命の星・地球博)によれば、デスモスチルスは、葉食〜草食〜雑食まですべてのカテゴリーを横断してしまい、特定の食性を示さない。また、デスモスチルスは、少なくとも二枚貝を歯で圧砕しながらバリバリと食べるような証拠は見いだされなかった。
結果(その2)
共同研究者の鵜野 光さん(東大)によれば、デスモスチルスは、沿岸で生活する鰭脚類やイルカ類に近い炭素同位体比を示す。そして、その値は、沿岸で海藻か底棲無脊椎動物を食べていたことを示す。したがって、陸上植物や浅海の海草は、共にデスモスチルスの捕食対象からは除外できる。
顎運動における咀嚼筋の機能形態(マクロと物理の眼)
さらに、デスモスチルスの顎運動の方向を復元してみると、デスモスチルスは他の有蹄類とは異なって、咬筋が歯の咬合面に対して垂直に作用していることがわかりました。微小摩耗痕と安定同位体の結果を考慮すると、実はデスモスチルスは下顎を咬筋で強く固定して、舌を口腔内で後に引くことで陰圧を作り出し、海底に棲む無脊椎動物を吸い込んで食べていたのです。
日本館3階にはDesmostylus japonicusのホロタイプ(NMNS-PV 5600)の最新の復元が展示されています。
最初の記載論文の図と見比べてみてください。