浦野 浪次郎 作画・発行
『東京名所之内 萬世橋停車場及広瀬中佐杉野兵曹銅像之真景圖』
浦島堂、1915 (大正4 )
「萬世橋停車場本屋建築圖 縮尺百分之壹 階下平面圖」
かつて中央線の神田と秋葉原間に設置されていた万世橋駅の駅舎は、東京駅の設計者と同じ辰野金吾の設計になります。もちろん辰野一人の活躍によるものではなく、その陰には、辰野の率いた建築事務所の所員や、鉄道そのものを建設し運営した当時の鉄道院の技術者たちの存在も忘れてはなりません。
村上胖は鉄道院の技術者として、万世橋駅や烏森駅(2代目新橋駅)の建設に携わった建築技術者です。
彼は山口県出身で、上京して建築を志しました。夜、開校したばかりの工手学校(現・工学院大学)で建築を学ぶ一方で、昼間は華族女学校や日本赤十字社病院の建設現場で実務経験を積んだようです。
技術者として本格的な活動を始めたのは大審院や司法省(現・法務省旧本館、重要文化財)の建設現場でした。庁舎建設のために来日したドイツ人技術者の下で働いた彼は、ドイツの建築技術に触発され、建築を学ぶためのドイツ留学を果たしました。
帰国後は司法省の営繕技術者として大阪控訴院や神戸地方裁判所(外観のみ現存)の建設に携わったのち、鉄道院に移り、冒頭に記した万世橋駅や烏森駅の駅舎建設に腕を振るいました。
村上胖は死後、数多くの建築図面を残しましたが、こうした図面や、今に残る歴史的建造物を検証することによって、日本の建築技術史の一端を明らかにしています。
※ 錦絵以外の図面・スケッチはすべて『村上胖資料』 写真出典 建築學會編『明治大正建築寫眞聚覽』建築學會、1936
久保田 稔男(くぼた としお)
科学技術史研究グループ