地球の深部をつくる物質の高圧下の性質についての研究
大迫 正弘
地球は一つの大な熱機関で、内部の熱をたえず宇宙空間に放出しています。その熱エネルギーの一部を使って地震や火山をはじめとするさまざまな地学現象をひきおこしています。 地球の中のエネルギーの流れと関係しているのは、そこをつくっているものの熱の伝えやすさ(熱伝導率)です。熱伝導率の大きさはマントル対流やプレート沈み込みといった地球の中の動きの様子(ダイナミクス)を左右します。しかし、地球の深いところで熱伝導率のような熱的性質や、やはり地球内部のダイナミクスに関係する変形のしやすさなどの力学的性質がどうなっているのかは、わからないところが多いのです。 地球の深いところではたいへん高い圧力と高い温度になっています。そのような状態では物質のいろいろな性質が地上での常温常圧という条件のもとにあるときとはちがってきます。そこで、実験室の中で地球の深いところと同じ高い圧力をつくりだして物質の性質を調べる研究が行われています。 物質の性質を高い圧力をかけて調べるためには、油圧で動かす大型のプレスを使います。右の写真は筆者が利用している岡山大学地球物質科学研究センターの装置です。超硬合金でできたアンビルという立方体8個を組みあわせ、これをまわりの6方向からプレスで押していきます。組んだアンビルの中心には実験しようとする試料を入れます。実験試料は直接アンビルで押すのではなく、マグネシアを固めてつくった圧力媒体に納めます。ここには熱伝導率をはかるための小さなヒーターや温度センサーも組みこみます。このようにして8個のアンビルで高い圧力を出す装置を川井型といい、日本で開発され諸外国でも使われているすぐれたものです。 |
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カンラン石をはかった結果です。カンラン石は地球のマントルの深さ 400 kmくらいのところまででもっとも多い鉱物です。圧力が高くなると熱伝導率は大きくなります。カンラン石は斜方晶系に属する鉱物で、熱伝導率の値はたがいに直角をなす3つの結晶軸の方向で異なります。そのほか、同じく地球のマントルにあるザクロ石や、プレートの込みこむところで重要な鉱物と考えられるジャモン石についてもはかりました。 | |
もう少し詳しいことをいうと、この実験では、熱伝導率と熱拡散率とを同時にはかることができます。熱伝導率は熱エネルギーの伝わりやすさを表わし、熱拡散率は熱が伝わっていくときの温度の上がりかたを表わします。この両者には関係があり、式で示すと、(熱拡散率)=(熱伝導率)÷(単位体積あたりの比熱)、となります。つまり、熱が伝わっていくと先々のところを温めて温度が上がりますが、その度合いは比熱が大きければ小さくなります。式はこのことを表わしています。 熱伝導率と熱拡散率を同時にはかれるということは、式を見ればわかるように比熱がもとまるということです。比熱は地球内部の温度と圧力と物質(の種類)とを結びつける状態方程式というものの中に入ってくる重要な物理量です。じつは鉱物に高い圧力をかけたときの比熱をはかった実験は今までにありません。そこで、試しにカンラン石やザクロ石の実験結果をつかって比熱の値を計算してみたところ、圧力が高くなると比熱は小さくなるという傾向がでてきてこれは理屈と合っています。ただ、まだ誤差が大きくて地球内部の状態方程式を吟味できるようなきちんとした比熱の値を出すところになっていません。そこで、実験の精度を上げるのに努めています。この研究は、鉱物の比熱を高い圧力のもとで実測するという、まだだれもデータの出していない挑戦的(challenging)なものです。 |
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地震資料の整理と調査
理工学研究部には地震研究の黎明期からの発展を物語る地震計などの機器類、それに主に昭和初期までの地震学者や地震計そして地震被害の写真が収蔵されています。資料の多くは大学をはじめ研究機関や気象台からきたもので、中には当館がかつて展示などの目的でそろえた地震計や震災の絵などもあります。 このような資料を整理するうちに、いくつか珍しい観測機械や貴重な写真が見つかりました。 |
左は1894(明治27)年に東京湾の真下で起き、東京と横浜を中心にかなりの被害を出したという明治東京地震の写真です。この地震はマグニチュード7クラスのもので、その前後に江戸/東京を襲った安政地震(1855年)と関東地震(1923年)の間にあって、やや隠れた存在ですが、大都市を襲った直下型の地震の一つとして忘れてはならないものでしょう。明治東京地震の写真はほかにほとんど残っていないようで、この写真は貴重なものと思われます。解像度は思ったよりよく、煙突の写真などは、つくっている煉瓦の一つ一つがみえます。
右は1888(明治21)年に起きた磐梯山大爆発の直後の様子を示す写真で、 ガラスの幻灯(スライド)になっています。この火山噴火は地形を大きく変えたということで桜島の大正噴火と並んで明治以降でたいへん大きな地学上のできごとでした。この幻灯写真は、噴火の調査の中心となった地震学者の関谷清景が、おそらく一般向けの講演会に使ったものと考えられます。写真の撮影者の中にお雇い外国人ウィイリアム=バートン(バルトン)がおり、また、幻灯のつくりかたにも幾種類かのものが混じっていて、写真史の資料としても興味のあるものです。