7 天然記念物指定の歩み

郷土の自然を守ろうという動きは産業革命の前後にヨーロッパから起こり、天然記念物、自然保護といった言葉や思想が生まれた。日本も、明治の近代化とともに、その必要性が生じた。工業化や農地の開墾、さらに、国産の村田銃の生産がはじまり狩猟による鳥獣の減少が進む。このような事態を憂慮し、徳川頼倫侯らにより史蹟名勝天然紀念物保存協会が創立され、建議案が貴族院に発議されたのが明治44(1911)年である。同協会は講演会等の啓蒙活動をおこなうとともに、大正3(1914)年より会報『史蹟名勝天然紀念物』の刊行を開始した。

この運動に大いに貢献したのが、東京帝国大学教授で植物学の権威、サクラ類の研究でも著名な三好 学博士である。雑誌、講演等で欧米における天然記念物保護の思想を紹介するとともに、日本におけるその必要性を説きつづけ、大正4(1915)年に著書『天然記念物』を、大正15(1926)年に『天然紀念物解説』をあらわしている。

さて、天然記念物を国が指定する根拠となる法律、史蹟名勝天然紀念物保存法が議会に上程され、公布にいたったのが大正8(1919)年である。この郷土愛護と自然保護の思想は昭和25(1950)年に制定された文化財保護法に引き継がれ、翌年、天然記念物の指定基準が告示された。動物に関する指定基準は次の通りである。


(一)日本特有の動物で著名なもの及びその生息地

(二)特有の産ではないが、日本著名の動物としてその保存を必要とするもの及びその生息地

(三)自然環境における特有の動物又は動物群集

(四)日本に特有な畜養動物

(五)家畜以外の動物で海外よりわが国に移殖され現時野生の状態にある著名なもの及びその生息地

(六)特に貴重な動物の標本

なお、現在、(六)の基準で指定を受けた標本はない。また、この特別企画展では(四)の日本に特有な畜養動物は取り上げていない。

 

 

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