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太平洋戦争敗戦後4年目の1949年、日本人は物理学者の湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞するというニュースに驚き、よろこびにわきました。水泳の世界選手権大会で日本人が優勝したというニュースとともに、戦後の生活困窮と精神的な落胆で打ちひしがれていた国民に大きな希望と勇気を与えました。
湯川博士が1935年に発表した中間子論が1947年に実験で検証されてノーベル賞受賞となったのです。
湯川博士とともに京都大学で量子力学という新しい物理学を勉強した朝永振一郎博士は戦中戦後の混乱期の中で場の量子論の難問に挑戦して1948年に「くりこみ理論」を発表しました。
この業績によって朝永博士も1965年度のノーベル物理学賞を受賞しました。 |
時代背景
日露戦争終結 |
1905 |
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1906.3.31 |
朝永 誕生 |
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1907.1.23 |
湯川 誕生 |
第一次世界大戦 |
1914-18 |
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アインシュタイン来日 |
1922.11 |
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1923 |
第三高等学校入学 |
関東大震災 |
1923.9 |
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1926 |
京都大学理学部入学 |
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1932 |
湯川 結婚 |
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1935 |
湯川 中間子論論文 |
欧州で第二次世界大戦勃発 |
1939 |
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1940 |
朝永 結婚 |
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1943 |
湯川 文化勲章受章 |
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1943 |
朝永 超多時間理論文 |
広島、長崎に原子爆弾、第二次大戦終結 |
1945 |
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1946 |
湯川 学術雑誌Progress of Theoretical Physics創刊 |
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1948 |
朝永 くりこみ理論論文 |
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1949 |
湯川 ノーベル賞受賞 |
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1952 |
朝永 文化勲章受章 |
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1953 |
湯川 京都大学基礎物理学研究所所長
東京と京都で「国際理論物理学会」開催 |
ビキニ環礁水爆実験で福竜丸被爆 |
1954 |
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1955 |
湯川 ラッセル・アインシュタイン宣言に共同署名 |
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1957 |
第一回パグウォッシュ会議に出席 |
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1956-62 |
朝永 東京教育大学学長 |
安保改定反対運動 |
1960 |
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1962 |
第一回科学者京都会議 |
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1963-69 |
朝永 日本学術会議会長 |
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1965 |
朝永 ノーベル賞受賞 |
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1966 |
湯川 素領域理論論文 |
大学紛争 |
1968-69 |
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1975 |
パグウォッシュ・シンポジウムを京都で開催 |
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1979.7.8 |
朝永 逝去 |
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1981.9.8 |
湯川 逝去 |
世界物理年 |
2005 |
ユネスコが湯川メダルを製作
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