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金地院東照宮1/10模型

    

 金地院東照宮は、京都市左京区にある禅寺・南禅寺の塔頭(たっちゅう:大寺院の境内にある小寺院)の1つである金地院の院内に建つ社殿であり、重要文化財に指定されています。
 金地院はもとは大業徳基によって応永年間(1394-1428)に鷹峯(たかがみね)に開かれましたが後に衰え、1605(慶長10)年頃に以心崇伝(いしんすうでん)によって現在地(京都市左京区南禅寺福地町86-12)に移され復興しました。院内の造営物として東照宮の他に方丈(1611(慶長16)年移築:重要文化財)・鶴亀の庭園(1630(寛永7)年、小堀遠州作、村瀬左介・職人賢庭施工:特別名勝)・開山堂・明智門・弁天池等があります。
 金地院中興の祖・以心崇伝(1569-1633)は金地院崇伝とも呼ばれ、天海僧正(上野公園の基となった寛永寺を開く)と並んで徳川家康の側近くに仕え重用されましたが、家康の死後その遺言の解釈を巡る天海との論争に破れ、中央から一時的に身を引きました。その際、家康の御霊を祀った東照宮を金地院に勧請し、家康の遺髪と念持仏を納める社殿として1628(寛永5)年に造営したのが金地院東照宮です。
 金地院東照宮の建築形式は「権現造り(石の間造り)」と呼ばれ、この形式の建物は京都市内では金地院のものが唯一です。権現造りの建物は、ご神体を安置する「本殿」とご神体を礼拝する「拝殿」とを「相の間(石の間)」でつないだ3室で構成されています。3室の屋根は連続してつなげられ、そのうち正面に当たる拝殿の屋根は「寄せ棟造り」で、その中央には三角屋根の「千鳥破風」と曲線状にうねった「唐破風」とが組み合わされて付けられています。
 東照宮といえば日光や久能山の絢爛豪華な姿が良く知られていますが、金地院東照宮にも鮮やかな彩色が施されており、拝殿は総漆塗り、相の間・本殿は軸部(柱や梁)を丹で、壁や扉は白・黄・緑といった極彩色で彩られています。また拝殿の天井には狩野探幽の筆による「鳴龍」が描かれており、さらにその欄間には土佐光起画・青蓮院宮純法親王の親筆になる「三十六歌仙」額が掲げられています。
 当館所蔵の資料は、この金地院東照宮を10分の1の大きさに忠実に縮小して再現した模型です。この模型は文化財の普及啓発を目的として文化庁によって作製されたもので、模型作製には国によって選定された「選定保存技術保持者(建造物模型制作分野)」である和田安弘氏と、御令弟有功氏がこれにあたりました。10分の1の忠実な縮小であるため、部材の組合せである「継ぎ手」・「仕口」の方法から、「ほぞ穴」と呼ばれる部材に空けられる穴まで、正確に再現されています。もちろん障子や扉などの「建具」もしっかりと開け閉めできます。また模型は縦に二つに分割できるように作られており、分割すると拝殿・相の間・本殿の3室の構成や室内の様子、小屋組(屋根を支える構造部分)の仕組み、床下の状態など実物では見ることのできない部分を見ることができます。
 ちなみに、上野公園の中にも東照宮が建立されています。こちらは1651(慶安4)年に徳川家光の命で建て替えられたものですが、やはり権現造りで丹塗りの建物です。内部を見学することができますので、金地院のものと比較して観察し、権現造りの特徴や金地院東照宮との違いを見つけてみて下さい。

参考写真(1):実物の金地院東照宮-正面、拝殿部分

参考写真(2):実物の金地院東照宮-側面
相の間(左)と本殿(右)

 

参考写真(3):実物の金地院東照宮-拝殿内部
天井に「鳴龍」・欄間に「三十六歌仙」額

参考写真(4):上野東照宮

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