高柳式テレビジョン送像装置
高柳健次郎は1927(昭和2)年に、送像部にエクストレーム照明法を使い、受像側にブラウン管を使った装置を開発して”イ”の字の映像電送に成功しました。これは日本で初めての事でした。
走査線は40本で,おぼろげに字がわかる程度でした。より鮮明な画像を得るためには、機械ではなく電子管を考案する必要がありました。しかし当時の日本の技術では難しいものでした。1933(昭和8)年には撮像管の祖先であるアイコノスコープがアメリカのツオルキンによって発表され、テレビジョンは実現化します。高柳はその後、NHK、日本ビクターと移り、一貫して日本のテレビ技術を指導しました。