早稲田式テレビジョン送像装置
高柳健次郎に続いて、1928(昭和3)年には早稲田大学の山本忠興、川原田政太郎も本格的にテレビジョンの研究を始め、翌年には映像を映し出す事に成功しました。
川原田らにより開発された機械式テレビジョン装置は、ニポー円板を送像側に使用し、受像側は回転鏡車とケルセルによって、2メートル四方近い大画面に映像を映す事ができたため、当時はとても評判となり、将来のTV放送時代を予感させました。送像部では映像をニポー円板により光の点滅に変え、その光を光電管で電気信号に変換します。受像部では、アーク灯からの光をニコルプリズム、ケルセル、ニコルプリズムと通します。この光は、ケルセルを通る時に映像信号によって、変化させられます。この明滅光を回転鏡車によってスクリーンに投影します。この時、送信側のニポー円板と受像側の回転鏡車が同期していると、映像を再現できるのです。