豊田G型自動織機(豊田佐吉)
豊田佐吉は1867(慶応3)年に現在の静岡県湖西市に生まれ、1887(明治20)年ごろに西欧から伝わったバッタンと呼ばれる「飛び杼(織物の横糸を入れる器具)」を備えた織機を製作しました。
発明や工夫を通して社会に寄与しようとの志をたてた佐吉は研究を続け、1890(明治23)年に「豊田式木製人力織機」を開発し、さらに1896(明治29)年に日本最初の動力織機「豊田式汽力織機」を発明しました。その後も改良に努め、種々の実験や試験的な製作などを行ない、織機に関する多くの特許を得ました。より効率良く広幅の布を織る織機として、袋状に布を織る「環状織機」の考案などは、当時の製造技術の限界もあり実現しませんでしたが、円運動を基本とした大胆で独創的な非常に優れた発想のものでした。そして1924(大正13)年に、当時世界最高性能の「無停止杼替式豊田自動織機」を完成させました。織機ではたて糸の上糸と下糸の間によこ糸を通して織物を織っていきますが,よこ糸が無くなった時に自動的に補充し、たて糸が切れた時に自動的に停止する機能を備えた織機を自動織機といいます。
当時、自動織機はすでに欧米で製作されていましたが、故障が多く、しかも操作が複雑なため十分に使われていませんでした。これにくらべ、佐吉は発明に関しては十分な試験を行って、実用のものとしなければならないとの信念から、試験工場を建設して営業的試験を行うなどして徹底的な品質や性能のチェックを行ったため、欧米の技術者たちから“マジック・ルーム(魔法の織機)”と呼ばれ、高い評価を受けたのです。その技術力は、1929(昭和4)年、当時世界のトップメーカーであった英国プラット社に技術供与(特許権の譲渡)されるほどでした。佐吉は1930(昭和5)年に病気で亡くなりましたが、1926(大正15)年に設立した豊田自動織機製作所の後を継いだ長男、豊田喜一郎は佐吉の発明した自動織機の開発、製造とともに、1933(昭和8)年に自動車製造にも進出し、今日のトヨタ自動車につながっています。
国立科学博物館のG型自動織機は、豊田佐吉が最初の営業試験用に製作したものの1台で、部品の取り替えや部分的な改造を加えながら愛知県の織物工場で昭和40年代まで使用されたあと、豊田自動織機製作所で製作当初の姿に復元され、1976(昭和51)年当館に寄贈されたものです。