廣田理太郎関係資料
廣田理太郎は1887(明治20)年に帝国大学工科大学機械工学科を卒業し、近代化の途上であった日本において鉱山や商社で指導的立場にいた人物です。本業以外でも学生時代に結成した自転車の同好会、ゲオログ・デ・ラランデ(Georg de Lalande)設計の自宅や計算尺の普及に貢献したことで知られていますが、電機大学の創立者の一人である廣田精一の兄であり、また女性初の国会議員となった加藤(旧姓:廣田)シヅエの父でもありました。
本資料は廣田理太郎個人に関する辞令、証書、礼状、草稿、書簡や仕事・特許に関する証書、伝票、図面など約1,200点から成り、日本に広く計算尺を紹介した「計算尺」の稿本も含まれています。