国産ジェットエンジンJ-3
戦前に「ネ-20」ジェットエンジンを開発、試験飛行に成功していた日本でしたが、終戦直後からの「航空機の製造禁止令」により、すべての航空関連産業は禁止されていました。 1952(昭和27)年、講和条約締結によって禁止解除が行われ、「航空機製造法」が施行、日本における航空機の自主開発、製造が再開されました。
日本の航空機開発は、戦前に高い評価を受けるものでしたが、戦後、再開までの7年間ほどで、世界の航空機の性能は飛躍的な発達を遂げていました。戦前主流であったレシプロ・エンジンは、よりパワーがあり飛行速度の出せるジェット・エンジンへと完全に移っていたのです。彼我のギャップは相当に大きなものでした。
航空再開前後から、民間各社は米軍機や自衛隊機の修理やライセンス生産等により、遅れていた技術差を急速にうめていきました。1952(昭和27)年には富士重工業で「JO-1」ジェットエンジンを計画、翌年には日本ジェットエンジン株式会社が石川島重工業、三菱重工業、富士重工業、富士精密、川崎航空機の5社によって設立され、「JO-1」や「J1」ジェットエンジンの開発設計が行われました。1954(昭和29)年には、防衛庁によるジェットエンジン推進のT-1中間練習機の要求仕様がだされ、1960(昭和35)年に石川島重工業製のJ3エンジンを搭載したT1F1(T-1B)機が初飛行に成功しました。国産の量産ジェットエンジンとしては最初のもので、その後、改良型のJ3-7Bが製造されました。