ペンシルロケット
1952(昭和27)年に、終戦から禁止されていた航空事業が再開され、研究者もジェットエンジンの研究などを開始しましたが、当時アメリカに留学して日本に戻った糸川英夫東京大学教授は、これからはロケットの時代になるとの考えを持っていました。
1954(昭和29)年頃から具体的な研究を開始した糸川教授は、富士精密(株)(現石川島播磨重工業)や日本油脂(株)の協力を得て、固体燃料を推進力としたロケットを開発しました。長さ23cm、直径1.8cm、重さ190g、やや太めの鉛筆といった感じのロケットで「ペンシルロケット」と名付けられました。「ペンシルロケット」は小さいながらも、ロケットに必要な基本的機能のうち、姿勢制御系以外のもの、すなちち、燃料、燃焼室、ノズル、機体、点火装置、安定翼など、すべてを備えていました。
1955(昭和30)年4月にこのペンシルロケットを使って、東京国分寺の廃屋工場で試射実験が行われました。この時試射されたのは29機で、このデータを基に数種類のペンシルロケットが製作され、場所を千葉の生産研究所、秋田県の道川海岸に移してさらに実験が続けられました。その後、日本のロケットはベビー型、カッパー型、ラムダ型と性能向上が図られていきました。ペンシルロケットは、このように日本の宇宙開発の先駆けとなったロケットなのです。