ペリーが献上した標準天秤
1853(嘉永6)年7月、日本に来航したペリー提督率いる米国艦隊は、翌年、再来日して通商条約の締結を求めました。その交渉に際して、ペリーは幕府将軍や老中、折衝に当たった幕府関係者らにさまざまな武器や器械などを献上しました。
幕府に献上された品物のうち、現存するものは、郵政博物館が所蔵する電信機一組があります。当時の瓦版(チラシ)などに多く描かれた模型蒸気機関車は、幕府より開成所(東京大学の前身)に下げ渡された後に、兵庫に設立された海軍操練所に移管され、そこで焼失したと伝えられています。
このように、当時献上された品物のほとんどが現存していません。この標準天秤も、1965(昭和40)年ごろに米国・スミソニアン博物館機構から、当時の工業技術院計量研究所(現在の産業技術総合研究所)に照会があり、関係者の調査で東京大学理学部に保管されていたものが再発見され、国立科学博物館に寄贈されたものです。
当初、この天秤がペリー献上のものかどうか疑わしかったのですが、格納された箱に1909(明治42)年6月、横浜商業会議所主催の開港五十年記念式典にペリー献上品として出品された墨書きがあることや、それ以前にも東京帝国大学から上記の電信機とこの標準天秤がペリー献上品として出品された記録が見つかったことや、天秤の形状や機構が当時米国で製作された標準天秤のうちの中型のものと同様であることも確認され、ほぼ間違いなくペリーにゆかりの天秤であることが判明しました。