1.背景
日本はコンサベーション・インターナショナルによって、世界34 地域の「生物多性ホットスポット」の1 地域に選定されており、地球規模で見ても生物多様性の高い地域である。日本国内の詳細な生物多様性の分布状況は、従来網羅的な評価がなされていなかったが、当館は平成20~24 年度に「生物多様性ホットスポットの特定と形成に関する研究」を実施して、国内の生物多様性ホットスポット(以下、「国内ホットスポット」)の特定に成功した。
生物多様性条約には、2002 年に策定された「2010 年までに生物多様性の損失速
度を顕著に減少させる」とした、いわゆる2010 年目標があった。しかし、残念ながらこの目標は達成されなかった(この事は2010 年10 月に名古屋で開催されたCOP10 において、関係国によって認められた)。このため、COP10 において、新たに2020 年目標が設定され、生物多様性の損失を止めるために、効果的かつ緊急な行動を実施することになった。
2010 年目標が達成されなかった要因には、各国の利害が複雑に絡んでいる。しかし、生物多様性に関する分かりやすい数値目標が存在しないことが大きな問題となっており、生物多様性の危機的状況(後戻りできない状況)を数値として示すことや生物多様性を分かりやすく示す工夫の重要性が指摘されている。
一方、次期生物多様性国家戦略の改定作業が進められているが、「2020 年目標達成に向けたロードマップの提示」や「生物多様性地域戦略の指針となるべき事項の具体的提示」そして「わかりやすさ、読みやすさの工夫」も求められている。このような要請に答えるためには、日本の生物多様性地形図を活用して特定された国内ホットスポットにおいて、様々な生物がどのような関係にあるかを分かりやすく示す必要がある。
2.目的
本研究は、国内ホットスポットに研究対象を絞った上で、当館が擁する多様な生物群の専門家によって包括的な生物相の解明を目指す。さらには、どのような歴史を経てその地域に高い生物多様性がもたらされたのか、その要因をDNA 情報を用いた系統地理学的研究から解明することを目指す。また、日本の生物多様性の指標として、これまでに作成されていない日本固有種のリストを策定することとする。得られた成果はwebサイト上で随時公開することとし、日本に生きる生物のかけがえのない価値が国民に
よって広く認識されるように努める。
3.研究内容
(1)国内ホットスポットでの包括的生物相調査
これまでに特定されている国内ホットスポットは、主に陸生の大型生物(種子植物など)の分布情報が根拠となっている。本来は、生物多様性の高さの評価は、全ての動物・植物・菌類等の存在とそれら同士の関わり合いを視野に入れて行なわれるべきものである。しかしながら、全生物を対象に国内網羅的な生物相調査を行なうことは、今日においてもなお現実的ではない。そこで、本プロジェクトでは対象地域を特定された国内ホットスポットに絞り込み、人的資源(様々な分類群を専門とする当館の研究者及びその共同研究者)を集中的に投入した現地調査を実施する。また、従来、国内ホットスポットの調査から除外していた海域の生物相についても、沿岸性生物に対象を限定して多様性の分布状況を把握し、陸域との比較を行う。
(2)多様性ホットスポットでの系統地理学的研究
多様性ホットスポットは固有生物(分布面積が狭い種)が集中する地域である。これまでに特定された国内ホットスポットは島嶼と高山が大半を占めており、周辺地域と隔離された「島的」環境が固有生物の誕生と密接な関係にある傾向が伺える。ホットスポットで見られる固有生物が、いつ頃どこで誕生し、どのような歴史を経て現在の分布に至ったのかを解明するためには、固有生物を周辺域の近縁種と比較し、姉妹種を特定することが欠かせない。そのため、DNA 塩基配列情報を用いた分子系統地理学的手法によって、過去の種形成・分布変遷史を復元する。日本国内の多様性ホットスポットの形成史を明らかにするために、ホットスポット周辺地域の生物相を必要に応じて海外も含めた広範囲にわたって再検討する必要がある。
(3)日本固有生物目録の編纂
地域固有種はひとたび絶滅すると取り返しがつかなくなる「財産」である。陸上植物では既に2709種類から成る日本固有種目録が作成されている(国立科学博物館叢書11「日本の固有植物」)。しかし、他の多くの生物群では、日本固有種の把握が十分に進んでいない。以上の状況を踏まえて、本プロジェクトでは日本の財産目録としての「日本固有生物目録」を全ての生物群を対象に編纂する。日本において絶滅のおそれのある生物は、レッドデータブック・レッドリストの編纂を通して把握が進んでいる一方で、IUCN レッドリスト(地球規模で絶滅のおそれのある生物のリスト)への日本産生物種の登録は現在でも少数に留まっている。本プロジェクトの固有生物目録と、環境省版レッドデータブック・レッドリストを統合することにより、日本産生物種のIUCN レッドリストへの登録が促進される効果が期待される。