- 1907
- 両親が山口県からハワイに移住する。両親は基本的にプランテーションで働く
- 1909
- 6月6日ヨシモト誕生(11月21日に出生届が提出される)Watson Toshinoriと命名
- 1910
- 公立学校と日本語学校に通う(当時のハワイの日系二世は、「日本に連れ戻したい」「日本文化を継承させたい」といった親の意向から、日本語学校に通うことが一般的だった)
- 1924
- 父Yoshinosuke Yoshimoto (43)死去
- 1925
- 母Kou Nagawa Yoshimoto (39)死去 ワトソンは学校を退学し、プランテーションの大工見習いとなる。初めて狩猟を経験する。末の妹(1歳未満)死去。ワトソンは大工になる。 後に大工の中でリーダー格に昇進。大工を辞め建設会社に就職し、通信教育でエンジニアリングの学位を取得
- 1930
- Amy Kimiye Shimaokaと最初の結婚。大工を辞め建設会社に就職し、通信教育を経てシカゴ工業専門学校からエンジニアリングの学位を取得
- 1931
- 長男Watson Jr.誕生
- 1932
- 長女Jeannie Vee誕生
- 1933
- 次男Sadao誕生(1年後死去) この頃から頻繁にハワイで狩猟をするようになり、友人と獲物を囲んで食べるのをたのしみとする
- 1934
- 次女Maxine誕生
- 1940
- オアフ建設会社(Oahu Construction Company)を設立
- 1941
- 12月7日真珠湾攻撃。日本国籍を放棄。第二次世界大戦中も建設業界で働く。 当時は主にアメリカ軍のための仕事を受注する
- 1943
- 日本語名を放棄(強い反日感情がアメリカ全体で起きていたための選択の可能性が高い)
- 1948
- Amyと離婚
- 1951
- 二度目の結婚(この年以降、生涯の家となるアヒプレイス(Ahi Place)に移り住む)
- 1954
- ハワイの建設業界の団体、ジェネラル・コントラクターズ・アソシエーション(General Constructors Association)の幹部に就任。 多数の大がかりな建設事業を受け持つようになる
- 1957
- 初めてハワイを出て海外(カナダ)へ旅行。 以後、海外で狩猟を行うようになり、以後1995年までほぼ毎年、狩猟の旅に出るようになる
- 1958
- アフリカへ狩猟の旅に出発。 他にもリスボン、ローマ、エジプト、インド、バンコク、香港、日本各地をまわり、日本では親族とも会う。 帰国後、様々な狩猟愛好家の団体に入会
- 1960
- テキサス州サンアントニオの博物館に依頼され、アフリカの動物の標本を収集(この頃から博物館の依頼で剥製用の個体を収集するようになる)
- 1963
- 日本の国立科学博物館にトナカイの頭骨標本を寄贈
- 1965
- 建設業の傍らボーリング業界にも進出
- 1972
- ビショップミュージアムに剥製コレクションを寄贈。 ヨシモトの剥製が一般公開される
- 1976
- サファリクラブインターナショナルから動物保護への貢献と剥製の質の高さが評価され「その年の人物」として表彰される
- 1977
- ビショップミュージアムで展示替えが行われ,ヨシモトの剥製の常設展示が取りやめとなる(その後、徐々にヨシモトは剥製を自分の下に戻していく)
- 1978
- 野生動物保護のために活動することを目的としたW.T.ヨシモト財団(W.T. Yoshimoto Foundation)が設立される サファリクラブインターナショナル、ハワイ支部の会長になる(1978-1981年)
- 1980
- 剥製コレクションへの評価と野生動物の保護や若い世代の育成に貢献したことから、「トロフィー・ハンターにとってのオスカー賞」と呼ばれるウェザービーファンデーションインターナショナルのウェザービー・ビッグゲーム・トロフィー賞を受賞
- 1986
- 自宅やオフィスを使い、個人的に剥製の一般公開をはじめる
- 1987
- 建設業の雑誌、Building Industry Digestで、ヨシモトの運営するオアフ建設請負会社がハワイのトップ25社の一社として紹介される
- 1988
- ビジネス誌、Hawaii Businessで建設以外を含む全ての州内の企業で最も成功している会社の一つに選ばれる
- 1992
- ビショップミュージアムから取り戻した剥製を展示しようと、元ボーリング場を改装して私設博物館「Wildlife Museum」を開設。全ての事業利益を会社の役員に託して建設業界を引退。その後は毎日、Wildlife Museumに通って来館者を待つようになる
- 1995
- 最後の狩猟旅行、スペインとカザフスタンへ
- 1997
- 剥製コレクションを日本の国立科学博物館に寄贈することを決意する
- 1998
- 剥製コレクションの国立科学博物館への移管が完了。特別企画展「野性の躍動 ヨシモトコレクション」が開催され、ヨシモト夫妻が来日。
- 1999
- ハワイ大学の野生動物保護を学ぶ学生に奨学金を与えるようになる
- 2004
- ヨシモト死去