「初めて」がつく新発見の資料たち
西城惠一
日本の天文学史関係資料の調査研究
これから江戸時代から近代・現代までの日本の天文学の発達について、関係する機械器具や、 文書資料について調査研究をおこなっています。特に、江戸時代の天球儀、渾天儀、遠眼鏡や暦・星図など、また近代からの望遠鏡や双眼鏡などの光学機器についても研究を進めています。ここでは最近の調査で判明した、それぞれ何らかの「初めて」がつく資料を3点ご紹介します。日本最初の銀メッキガラス反射望遠鏡
熊本市立熊本博物館(熊本市古京町) 所蔵の、池田一幸氏旧蔵反射望遠鏡が現物および文献調査の結果、銀メッキガラスを用いた反射望遠鏡としては日本で最も古いものであることが確認できました。この望遠鏡はイギリス製で、1920 年神戸市の英国人アマチュア天文家が輸入し、旧制五高教授の池田氏に渡ったものです。
「からくり半蔵」作の唯一の現存品:渾天儀「三極通儀」の発見
土佐の人、細川半蔵(1741 頃〜 1796 ?) は江戸時代の有名なからくり師で「からくり半蔵」として知られました。茶汲み人形などのからくりの設計書「機巧図彙」(1796)を著しましたが、これは日本初の機械工学書です。ところが、彼の製作品として確実なものは今までありませんでした。ところが神奈川、寒川神社蔵の渾天儀の調査で、この「三極通儀」が半蔵の製作したことが確実な、現存する唯一のものと確認されました。
戦後すぐの双眼鏡設計図面−若井光学工業関係双眼鏡資料
若井光学は戦後の昭和23 年から昭和26 年まで、対米輸出を中心としたHercules ブランドの双眼鏡を多機種製造しました。その多数の双眼鏡設計図を含む、文書・図画資料が、創業者のご子息から科博に寄贈されました。創業者は戦時中陸海軍の光学兵器製造に従事されていました。戦後すぐの双眼鏡設計図は他にない貴重な資料です(大手メーカーの設計図は現在でも公開されません。後の昭和30 年代には通産省の肝いりで中小メーカーの品質管理と輸出標準化のための共通設計図が頒布されました)。
これから
ご紹介した資料は科博の収蔵品だけではありません。日本各地で、保存はされているけれど、その真価が明らかになっていない資料がまだ数多く残っています。
これらの資料が生かされるよう、調査研究を進めていこうと思っています。