西洋医学の真価を認めて、伝統医学漢方から西洋医学に切り替わっていく過程を述べる。
宝暦4(1754)年、最初に人体解剖をみた山脇東洋は西洋医学書が真理を述べていることを知り、それを『蔵志』に著す。それを契機に各地で解剖が行われた。そのひとり杉田玄白らがはじめてオランダ語解剖書を訳して出版(『解体新書』)。つづいてオランダ語を学ぶ蘭学が興り、西洋医学受容のバックグラウンドができたが、同時に日本特有の解剖絵巻が作られ、西洋解剖知識が庶民の間にも浸透した。幕末、幕府は西洋医学の本格的受容を企図してオランダに医師派遣を依頼。来日したポンペは日本で本格的医学教育をはじめて行った。ここに近代医学教育の意義を知り、あたらしい医学教育が始まったのである。
蔵志
[所蔵先:国立科学博物館]
ポンペと松本良順、その弟子たち
[所蔵先:順天堂大学]
みどころ
「蔵志図」
山脇東洋が宝暦4(1754)年、西洋解剖図と五臓六腑図の違いに注目して主宰した、日本初の人体解剖(腑分け)の時に描かれた解剖図。画家は山脇東洋の弟子浅沼佐盈。有名な杉田玄白らの腑分け(明和8(1771)年)に先立つ蘭学の始まりを示す図である。
[所蔵先:国立科学博物館・
医学文化館旧蔵]