昭和20(1945)年の敗戦によりアメリカ軍を中心とした占領軍(GHQ)が日本を支配したとき、医療関係に対していち早く指示したことの一つが医学教育の改革であった。
明治維新後のドイツ医学移入に次ぐ大改革であった。まず、英語教育を行い、医学インターン制度の実施、医師国家試験の実施、医学教育の統一、教育内容の改善を求めた。
それまでドイツ中心であった留学先がアメリカに変わり、アメリカ医学の移入にかわった。
十分な準備もなく始まったインターン制度はやがて破綻し、昭和40(1965)年前後の学生運動の発端となった。
その後、インターン制度は廃止されたが、続いて医学教育改善が模索され、平成に入って、文部科学省、厚生労働省が一体となって医学教育、医師国家試験、臨床研修制度の発足など大きな医学教育改革が始まった。GHQは座卓による講義より、実践を重んじ、患者を中心の医療を目指す教育を求めたが、いま、それは内からの手によって実現されている。
明治初年の改革以来、3度目となる医学教育の改革が始まったといえよう。
GHQの指令書
第一回医師国家試験模範解答集
戴帽式
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みどころ
「内視鏡」
内視鏡は、日本が世界一のシェアを誇る。
昭和25(1950)年頃から東京大学とオリンパス光学が、胃の中を写して見るカメラ「ガストロカメラ(いわゆる胃カメラ)」を開発したことに始まり、1960年代には光ファイバーを利用したファイバースコープ、さらにビデオを組み込みモニターに映し出すビデオスコープへと、より小型化や患者に負担を与えないものへと進化し続けている。
[所蔵先:国立科学博物館・医学文化館旧蔵(オリンパス)]