第28回日本医学会総会 医学教育史展 ロゴ「わかろう医学つくろう健康 EXPO2011」歴史でみる・日本の医師のつくり方〜日本における近代医学教育の夜明けから現代まで〜
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展示内容
東京大学医学部での教育が軌道に乗るころ、全国に医学校ができたが、その水準は千差万別であった。 近代医学普及とともに全国の医学教育を充実させていく過程を述べる。
東京大学卒業生が各地の医学教育に携わると同時に、明治7(1874)年公布の「医制」に医術開業試験制度が定められ、新規医師はすべてこの試験に合格し、免状を得ることを定めた。しかし、東京大学卒業生は無試験で免状を得たことから、無試験の医学校と要試験の学校ができた。 後者は廃校するか、昇格かに分かれた。医術開業試験制度が医学教育のボトムアップにつながった。 医学校には帝国大学、医科大学、医学専門学校の三者があったが、帝国大学がもっとも水準が高く、その教授になるためには、業績に加え、海外留学を必須とした。その例を仙台医学専門学校で魯迅を教えた教師藤野厳九郎を例に語る。


順天堂医事研究会
[所蔵先:順天堂大学]

みどころ
「X線装置」と「乃木希典大将左足X線写真」
明治28(1895)年にレントゲンによって発見されたX線は、すぐに医療器具に利用され、日本でもX線発見の翌年には島津製作所が実験に成功し、明治30(1897)年には教育用X線装置を製作している。本X線装置は、明治31(1898)年にドイツ駐在の芳賀栄二郎陸軍軍医が帰国時に私費で購入し、陸軍医学校に寄贈したもので、現存する国内最古の医療用X線装置である。
乃木希典大将左足X線写真は、明治38(1905)年にドイツから輸入し広島倫治病院に設置されたX線装置を用い、明治39(1906)年1月11日、乃木希典大将が西南戦争時に負傷した左足のX線写真を撮影したものである。


X線装置

乃木希典大将左足X線写真
[所蔵先:陸上自衛隊衛生学校医学情報史料室(彰古館)]
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