図1.日本列島へのヒトの渡来経路は?
2008年3月7日更新
さて、現代日本人の形成過程に関心をもつ欧米の人類学者の多くは、150年ほど前から今日まで、ほとんど一貫して置換説を支持してきました。他方、50年ほど遅れて提出された日本人人類学者の初期の説もやはり置換説でしたが、1950年頃に変形説が提唱され、それが1980年頃まで多くの日本人人類学者の間の定説となっていました。混血説も日本人人類学者によって1940年頃に提唱されたのですが、その頃は細々としか支持されず、1980年頃までは変形説に押され気味で、影の薄い存在でした。しかし、その後、徐々に置換説に近い混血説が日本人人類学者の間で優勢になって今日に至っています。
以上のような背景の中で、我々が資料をどう集め、どう分析し、どんなシナリオを作っていくのかを見ていて戴きたいと思います。我々は皆自分の集めた証拠に基づいて自分の解釈・考え方を表明しています。お互いに相容れない結論に達することもあります。したがって、必ずしも班員全員が同じ仮説を支持する結果にはならないかもしれません。このホームページは教科書ではありません。どうか、読者の方々も、批判的に読み、ご自分で証拠・文意を判断して下さいますよう、お願い致します。(文責:溝口)
さて、シナリオの再構築と言うからには、元になるシナリオがなければなりません。そこで、本研究班の班員の大半が現在信じている現代日本人形成過程のシナリオを示しておきたいと思い、班員に意見を求めたのですが、やはり現実はそう簡単ではなく、合意シナリオを作るということはかなり大変な作業であることが分かりました。
とは言うものの、何か叩き台があった方が検討しやすいので、過去に公表されたシナリオの一つとして、ちょうど本研究プロジェクトが始まった2005年に開催された国立科学博物館の特別展で示された考え方(上の図1〔内容を変えずに溝口が描き直した〕)を紹介しておきたいと思います。ちなみに、これは本研究班の一部の班員の当時の考え方に基づくものです。そこでは以下のように考えられました。
まず、アフリカで現代人(ホモ・サピエンス)にまで進化した集団の一部が、約6〜3万年前、東南アジアや東アジアへやって来て、その地の後期更新世人類となった(@A)。次いで、更新世の終わり頃、約1万年前までに、東アジアや東南アジアの後期更新世人類が日本列島に到達し、その子孫が日本列島全体に広がって縄文時代人となった(BC)。同じく更新世の終わり頃、北方からも日本列島へ移住があり、それが縄文時代人の形質に地理的勾配を生じさせたかもしれない(D)。他方、後期更新世のいつの頃か、もとはと言えば縄文時代人などとルーツは同じだがシベリアや北アジアで寒冷地適応した集団が東進南下し、少なくとも6000年前までには中国北東部、朝鮮、中国の黄河流域・江南地域などに分布して、その地域の新石器時代人となった(E)。そして、 縄文時代の終わり頃、中国北東部から江南地域にかけて住んでいた人びとの一部が朝鮮半島経由で西日本に渡来し、先住の縄文時代人と一部混血しながら、広く日本列島に拡散した(FG)。これが弥生時代以降の本土日本人の祖先である。この渡来民は沖縄の人びとにも遺伝的影響を与えたが、アイヌの人びとにはあまり影響しなかった。アイヌは縄文時代人が少しずつ変化して生じた人びとである。
以上のように、この2005年のシナリオは本土日本人に関しては「混血説」ということになりますが、以下に示しますように、まだまだ検討すべき点がたくさんあります。
(1)縄文時代人の祖先集団はどこから来たのか?
・アフリカで現代人(ホモ・サピエンス)にまで進化した集団の一部が何万年か前に東南アジアや東アジアへやって来てその地の後期旧石器時代人となり、その一部が縄文時代人の祖先になった、と言われているが、その拡散経路や年代はまだ明確になっているわけではない。
(2)縄文時代人祖先集団のアジア大陸内・周辺地域での移住・拡散経路は?
・縄文時代人の祖先候補であるシベリア、中央アジア、南アジア、華北、華南、東南アジア、オセアニアなどの後期旧石器時代人は、日本列島に辿りつく前、どのように拡散・移動していたか。この問題はまだほとんど手付かずの状態にある。
(3)縄文時代人の祖先は具体的にどのような人びとだったのか、どのような経路で日本列島へ入ってきたのか?
・沖縄の港川人のような人びとが縄文時代人の祖先であっただろうという考え方は有力ではあるが、懐疑的な見方もある。
・沖縄・九州などを経由する南方からの経路と北海道などを経由する北方からの経路がしばしば強調されるが、西日本に近い朝鮮半島経由の移住経路もあったに違いない。
・どの経路から来た集団の遺伝的影響が一番大きかったのかは不明である。
・北海道の縄文時代人は本州以南の縄文時代人とは少し系統が異なるかもしれない。
・形態の頑丈さなどが著しく異なる縄文時代早・前期人と中・後・晩期人は果たして同じ系統の集団なのか。
(4)弥生時代人祖先集団のアジア大陸内での移住・拡散経路は?
・弥生時代人の源郷はアジア大陸のどこかであろう、という点はほぼ衆目の一致するころであるが、弥生時代人の祖先集団が大陸内の同じ一地域から来たのか、いくつかの地域から来たのか、また、大陸内をどのように拡散し、日本列島へ辿りつくことになったのか、という点はまだ不明である。
・しばしば弥生時代人の祖先集団は寒冷地適応を果たしたと言われているが、その集団は元々はどこから来た集団なのか、もとを正せば縄文時代人とルーツを同じくするものなのか否か。
(5)弥生時代の開始時期と弥生時代人の人口増加率の問題
・弥生時代の開始時期が従来考えられていたよりも500年ほど早かったかもしれないという説が2003年に提唱された。もしこれが正しければ、大陸からの大量移民や渡来系弥生時代人の高い人口増加率を仮定しなくても、当時の人びとの形態変化を無理なく説明できるかもしれないが、果たしてどうか。
(6)弥生時代前後の渡来民からの遺伝的影響はどの程度だったのか?
・現代本土日本人の祖先は、弥生時代の渡来民が先住の縄文時代人と混血した結果生じた、とする考え方が一般的ではあるが、混血に比べて環境要因の影響は無視できるほどに小さかったのか否か。
・北海道アイヌは縄文時代人の比較的純粋な末裔であるという考え方が一般的だが、北東アジアからの遺伝的影響はなかったのか。
・沖縄の琉球人にもアジア大陸からの遺伝的影響がかなりあったらしいと言われているが、もっと南方からの影響はなかったのか。
(7)渡来系弥生時代人はどのような経路で日本列島を東進・北上したのか?
・西日本の渡来系弥生時代人がどのように日本列島を拡散し、どのように東日本の古墳時代人に遺伝的な影響を及ぼしたのか、という問題は手付かずに近い状態である。
このような問題を解決するには、更なる資料の蓄積、分析技術の開発、研究者の育成など、多方面にわたる長期的な努力が必要です。本研究班も問題解決に向けて全力を尽くしておりますが、読者諸賢からも様ざまなご意見・ご協力を戴ければ幸いに存じます。
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