研究発表会会場(国立科学博物館分館)から見た
2008年10月、夕暮れの新宿副都心
2008年10月28日更新
1.諏訪 元・尾崎麦野・藤田祐樹: ハナンダー洞穴と山下町第一洞穴出土のリュキュウジカ標本と人類活動の関連について (松浦秀治・近藤恵と共同研究)
沖縄県ハナンダー洞穴から出土したリュキュウジカ標本については、発掘当初から歯の磨耗が進んだ個体が多いとの印象を受けていた。そこで昨年度に引き続き、本年度利用可能となったより多数のハナンダー標本について、ニホンジカのいくつかの咬耗モデルを適用し、齢査定を行い、標本群の齢構成特徴を調べた。こうした方法と様々な遺跡データの蓄積により、いずれは狩猟圧の有無や程度の時代差など、オキナワの先史時代における人類活動の一指標となりうるベースラインを構築できるのではと期待している。本発表では、ハナンダーと山下町第一洞穴のリュキュウジカ標本群について、現段階の結果を紹介し、若干の考察を試みた。
2.諏訪 元: 港川人の歯根の大きさパターンについて (他4名との共同研究)
マイクロCTデータを活用する一研究として、港川人の歯根形態を調べている。先ずは、従来から良く知られている、現代日本人と縄文人の間の歯冠形態特徴の相違パターンに照らし合わせて歯根サイズを調べてみた。結果、歯頚部における歯根の近遠心径は、歯冠近遠心径と同様のパターンを持つことを確認したが、歯根長はやや異なるパターンを示した。こうした新たな知見を背景に、港川人の歯根径ならびに歯根長を計測し、評価してみた。
3.久保大輔・河野礼子: 港川1号のエンドキャストについて
マイクロCTデータを元に港川1号のエンドキャストのポリゴンモデルを作成し、その形態的特徴を明らかにすると同時に、観察された特徴が原始的傾向と関連づけられるかどうかの検討を行なった。観察と計測によって前頭部が低く、側頭部が強く外側に突出しているという顕著な特徴が認められた。主成分分析による評価では、港川1号を含む後期更新世ホモ・サピエンスが現代人の変異内に収まりつつも、他のホモ属の辺縁に位置づけられた。この点において港川1号は更新世ホモ・サピエンス的といえる。一方、現代日本人に比べて前頭部が低く最大幅が大きいという点に関しては、他の更新世ホモ・サピエンスとも類似しておらず、派生的である。
4.海部陽介・藤田祐樹・河野礼子・馬場悠男: 港川人骨の再検討(下顎骨・下肢骨)
沖縄の港川フィッシャー遺跡出土の人骨化石群は、日本列島の旧石器時代人や縄文人のルーツを探る上で重要である。本研究では、これまで詳細に分析されていなかった港川人の下顎骨について、日本列島各地の早〜晩期縄文人との比較を行った。その結果、港川人の下顎骨には、男女ともに下顎枝が小さく、歯槽性突顎が強いなど独特の特徴があることがわかった。これらの知見は、今後港川人のルーツを探る上で有効なヒントを与える。また、港川人は縄文人の祖先という従来の見解は、慎重に見直していく必要がある。
5.松浦秀治・近藤 恵: 日本の「旧石器時代人骨」の編年に関する追加資料
日本の「旧石器時代人骨」の編年の現状を概観するとともに、「葛生人骨」および山下町第一洞穴遺跡に関する追加分析を行った結果を述べた。「葛生人骨」に関しては、上部葛生層の模式的発達地である葛生町宮田採石場から出土した哺乳動物骨(東北大学理学部自然史標本館所蔵の鹿間資料から試料採取)についてフッ素分析を行った。その結果、「年代の古いグループ(これらは全て人骨ではない)」は上部葛生層に由来すると考えて差し支えないフッ素含量を示すのに対して、「年代の新しいグループ(人骨は全てこちらに属する)」は上部葛生層出土獣骨のフッ素含量の範囲から外れることが示され、従来の考察(2001年の日本人類学会にて報告)が補強された。山下町第一洞穴については、当遺跡から発掘されたシカ化石の出土層位記載に関する混乱を指摘し、シカ化石のフッ素分析からこの問題の解決を試みた(尾ア麦野・藤田祐樹・諏訪 元 らとの共同研究)。
6.篠田謙一: 琉球列島貝塚時代人骨のDNA分析
沖縄の具志川島、具志川グスク崖下(沖縄本島うるま市)、大当原遺跡(沖縄本島読谷村)から出土した貝塚時代(縄文〜平安時代末)の人骨試料から抽出したミトコンドリアDNAを分析した。具志川島と大当原遺跡は北方系のハプログループを主体とした互いに類似した遺伝的構成を示した。ただし大当原遺跡の中の1体は台湾の先住民に繋がるタイプ(B4a)を持っており、これらの集団がより南方の集団とも遺伝的に繋がる可能性を示した。一方、具志川グスク崖下の人骨は現代の沖縄集団で多数を占めるM7aを持っており、このタイプの存在が貝塚時代にまでさかのぼることが明らかとなった。ただしこれ以外のハプログループは南方系のものであり、沖縄本島内であっても遺跡によってミトコンドリアDNAの構成が大きく異なっていることが示唆された。
7.安達 登: ミトコンドリアDNAからみた北日本縄文人-シベリアからの渡来の可能性-
北海道の縄文時代人にも東北地方の縄文時代人にも N9b というハプログループが最も多く見られる。これは、ウヘデやオホーツクに多いハプログループである。また、M7a というハプログループは東北縄文時代人に多く検出されるが、これは沖縄、アイヌ、ウヘデにも多い。これらのことから、北日本の縄文時代人の一部はシベリア起源である可能性が示唆される。これら北日本縄文時代人に比べれば、関東以南の縄文時代人はまだ現代日本人に似ているので、今後、ボトルネック効果も考慮しつつ、縄文時代人の遺伝的組成・均質性について、さらに検討を加えなければならない。
8.米田 穣: 食生態からみた縄文文化と弥生文化
これまでに分析した縄文時代・弥生時代人骨で、縄文早期・縄文中期・縄文後期・弥生(および続縄文)で食生態の時間変化を検討をした。縄文早期には、本州・九州ではすでに植物を中心的な食料資源のひとつとする適応がみられた。本州以南では中期および後期でも引き続き植物と魚類を利用する食生態が見られるが、その割合については立地環境によって変化する。弥生時代についても、植物と魚類の組みあわせという視点では、縄文時代から食生態に大きな変化は見られない。一方、北海道では縄文早期から続縄文にいたるまで、海獣類を含む海洋生態系に強く依存した食生態を維持する。弥生時代に本州北部までは稲作農耕が伝搬したが、北海道には伝搬しなかった理由の一部は、北海道縄文文化の特殊な食生態があるのかもしれない。両地域における食生態の相違の背景は、生物相の違いに求めることができる。
9.坂上和弘: 彦崎貝塚出土人骨について
岡山県彦崎貝塚から約60年前に出土した縄文時代前期の人骨は諸般の事情により詳細な研究が行なわれないまま今日に至っていたが、今般、詳しく調査・分析する機会を得たので、結果を報告する。最小個体数は25個体で、胎児3、若年3、青年が男性5女性2、中年が男性2女性3、老年が男性2という年齢構成であった。女性は身長が高く、関東縄文人の平均身長や岡山県の後期縄文時代の津雲貝塚人の平均身長よりも5cmほど上回る。また、幾つかの人骨には病変も見られ、恥骨骨折、腰椎の変形性脊椎症、頚椎の変形性関節症、そして現在調査中ではあるが、脊椎炎または結核によるものと推測される下部胸椎-腰椎の変形なども観察される。
10.中橋孝博・飯塚 勝: 北部九州の縄文〜弥生移行期に関する人類学的考察(2)
中橋・飯塚(1998)と Iizuka・Nakahashi (2002) は先に人骨形態と集団遺伝学的解析とを組みあわせた論考を発表しているが、その後、AMS炭素14年代測定によって弥生開始期の年代を500年程度遡らせるべきだという見解が発表され、これまでの弥生時代の年代観に大きな修正が加わる可能性が浮上した。そこで、従来は200〜300年に想定した弥生時代早期から前期末までの年代幅を最大800年まで拡張して、改めてこの間の縄文系と渡来系の人々の人口変化について、様々な条件下で再分析したところ、概ね先の解釈(中橋・飯塚, 1998)を追認する結果を得た。つまり、弥生時代開始期の遡上によって弥生時代中期までの経過時間をより長く想定すれば、渡来系の人々がかなり緩やかな増加率でも土着縄文人を圧倒して人口比の逆転現象を起こし得ることが示された。ただ、この問題の決着には、今後とも縄文末〜弥生初期の人骨充実が不可欠であること、また、我々はいわゆる量的遺伝子の概念に則って、各個体が持つ縄文系と渡来系の遺伝子の量比が人骨の形態に反映され、一方で人骨形態を対象に実施した判別関数法による「渡来系弥生人」と「縄文系弥生人」の区別がその遺伝子群の発現とほぼ合致することを前提としているが、この前提、簡略化にはかなりの不確定要素が含まれており、将来に亘って検討を続けるべき問題を多く抱えたものだということを付言しておきたい。
11.溝口優司: 頭蓋・四肢骨計測値の縄文・古墳時代における地理的勾配
縄文・古墳時代人の脳頭蓋の高さに地理的勾配があることはすでに指摘されているが、これらが日本列島内での人の移動の跡を示すものなのか、環境の地域間差によるものなのかは未だに不明である。本研究では、縄文・古墳時代人の形態の総合的な地理的変異パターンに環境の地域間差の影響があるのか否かを調べようと、縄文・古墳時代の頭蓋・四肢骨計測値における地理的変異パターンと、現代の気温、湿度、降水量などの環境変数の地理的変異パターンを比較した。変異パターンの類似度の有意性検定にはマンテルの行列順列検定法を使った。その結果、地域を通じての縄文時代から古墳時代への並行的な変化は認められなかったが、骨計測値と年平均気温の地理的変異パターンの間に、両時代とも、有意(P<0.10)な類似性があることが発見された。これが何を意味するかは、今後慎重に検討されなければならない。
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旧石器時代人骨の形態と年代の再検討
縄文時代早期人骨の形態学的調査とDNA分析
北海道出土の縄文・続縄文時代人骨のDNA分析
弥生時代の枠組み変化による日本人起源仮説への影響の検討
関東弥生時代人の年代・食性・形態の再検討
頭蓋・四肢骨計測値の地理的変異パターンにおける時代間差の分析