山下町第一洞穴で1968年に発見された幼児の右大腿骨および右脛骨
2008年3月7日更新
1968年に沖縄県那覇市の山下町第一洞穴で発見された幼児の右大腿骨および右脛骨は、ヨーロッパの現代 人や旧人などとの比較により、新人であるが古代型人類の形質もモザイク的に持っているとされている。本 研究では、山下町洞人をホモ・サピエンスとして問題ないかを再検討するために、地理的、時代的に近い縄 文人との比較を行った。人骨に付着していた鍾乳石をクリーニングし、形態観察、線計測、マイクロCTに よる断面形状の比較を行った。縄文人の変異を考慮すると、山下町洞人はほとんどの計測項目において縄文 人と大きな違いはなかったため、ホモ・サピエンスとして矛盾はないと考えられる。
図1. 大腿骨頸体角は縄文人の変異内にある。 | 図2. 大腿骨の骨質部面積。推定長によっては 縄文の上限になる。 |
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