2006年春の港川遺跡
2008年3月7日更新
日本人の起源、形成過程、時代的変化の原因などに関する自然人類学的研究は、E.v.ベルツ(1883-1885)の著作出版から数えても100年以上の歴史をもつ。この間になされた古人骨標本ならびにその計測・観察データの蓄積、コンピュータの発達、遺伝学・分子生物学・統計学などにおける様々な方法の開発・発展によって、日本人の起源やアジア諸地域住民との類縁関係が、少しずつ明らかになってきた。
しかし、いまだにはっきりとは言えない部分が残っている。特に、縄文時代人の起源、渡来系弥生時代人人口急増のプロセス、形態学的形質とmtDNAに基づく縄文・弥生・現代人間の推定類縁関係の喰い違いなど、自然人類学に携わる者にとっては大きな問題がいくつかある。そこで、かねてからこの問題に関わってきた国立科学博物館人類研究部のスタッフと数名の部外研究者が協力してプロジェクトチームを作り、特に鍵を握ると思われる時代に的を絞って、2005年度より5カ年計画でこれらの問題を再検討し、新たな日本人形成過程のシナリオ構築を目指すことにした。
今年度は2年目で、まだまだ問題解決の報告を行なえる段階ではないが、我々のプロジェクトが実際に扱っている課題の現状と試行的な分析結果の報告を行ない、広く多くの方々からの意見を聞いて、調査・分析をさらに精密なものにしたいと考えている。これが本シンポジウムの開催趣旨である。
日本列島の更新世人骨は、沖縄から出土する1万5000年前より古い人骨(港川人骨など)と、本土および沖 縄から出土する1万5000年前より新しい人骨(浜北人骨など)に分けられる。縄文時代人骨と比べると、前者は 類似の形態特徴を示すが、後者は独自の形態特徴を示す。港川人骨の特徴は、単なる地域変異あるいは島嶼化現象と 見なすよりは、原始的と解釈するべきである。そうすると、仮説スキームとしては、約4万年前に東アジアにやっ てきた新人集団が日本列島に拡散し、その当時の特徴を隔離された沖縄で長く留めていたのが港川人骨であり、約 2万年ほど前から進歩的特徴を持って再び拡散した集団の子孫が浜北人や縄文人であると理解できる。
港川人と縄文人の頭蓋骨は、低顔で低眼窩であるなどの点において類似が指摘されているとともに、いくつかの 相違点が示されている。glabella周辺の形態はその一つである。眉間や眉弓における発達のパターンや程度は、柳 江人、山頂洞人、ワジャク人など、近隣地域の更新世人骨と港川人の比較においても重要な要素として扱われ、議 論の対象となってきた。我々は3次元計測を用いて港川人骨と縄文人骨を比較することにより、従来の手法のみで は困難と考えられる両者のglabella部が持つ固有の特徴を抽出することを試み、より定量的に評価するための予備 的分析を行なった。
日本における古人骨由来のDNA分析も宝来が最初の報告を行ってからすでに15年以上の解析の歴史を持っ ている。その間に解析された人骨は縄文時代に限っても数十体を越え、ある程度まとまったデータが存在している。 そこで今回の発表では、本州の縄文人を対象として、これまでに発表されたデータに今回新たに解析したものを合 わせて、その遺伝的な特徴として現状でどのようなことが明らかになっているのかを概観することにした。これま で発表された塩基配列データからハプログループのアサインを行い、現代の日本や周辺の大陸の集団との比較を行 って、その系統関係についての考察をおこなった。
前回大会にて、我々は北海道縄文人にみられたミトコンドリアDNAの遺伝子型の頻度分布が、現代日本人集団を 含む既報のいかなる人類集団とも全く異なる特徴的なものであることを報告した。そこで今回の発表では、東北地 方の縄文人を対象としてミトコンドリアDNAの遺伝的特徴を精査し、北海道縄文人のそれと比較検討することで縄 文人の遺伝的地域差に関する研究に若干の知見を加えようと試みた。東北地方出土人骨については、東北地方縄文 人の直接の子孫である可能性が高い、坂上田村麻呂の東北侵攻以前の人骨についても解析をおこない、縄文人集団 のデータと比較検討した。
弥生文化がいち早く開花した北部九州において、縄文社会から弥生社会への移行はどのような形で、どのような 人々によって実現されたのか、その具体像についてはまだ不明な点が多い。当地では縄文晩期〜弥生早期の人骨資 料が欠落していることに加え、近年、新たに弥生時代の開始時期を500年ほど遡行させるべきだという意見も出 されて、むしろ混迷の度合い深めている感さえある。ここで改めて当地域における様々な問題点(年代、人口変化、 支石墓、抜歯風習など)について整理しなおし、併せて幾つか新たな資料、取り組みについても紹介したい。
弥生時代頃の西日本に少なからぬ数の渡来民またはその子孫が住んでいたことは間違いのない事実と考えられ ているが、では、その渡来系弥生時代人がどのように日本列島内を拡散したのか、という問題に関しては、いまだ にはっきりした答が出ていない。
本分析では、九州、山陽、関東、東北地方の縄文・古墳両時代人男性の頭蓋計測値8項目のデータを文献調査に よって集め、頭蓋形態変異パターンが変化しているか否かを検討した。2時代の4地方間D2距離行列の間に相関 があるか否かをマンテルの行列順列検定法によって検定した結果、両時代の地理的変異パターンには有意な相関は 認められず、かなり大きな形態的断絶があることが再確認された。
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旧石器時代人骨の形態と年代の再検討
縄文時代早期人骨の形態学的調査とDNA分析
北海道出土の縄文・続縄文時代人骨のDNA分析
弥生時代の枠組み変化による日本人起源仮説への影響の検討
関東弥生時代人の年代・食性・形態の再検討
頭蓋・四肢骨計測値の地理的変異パターンにおける時代間差の分析