この膨大な数の鉱物標本(国内外合わせて16,161点)は、日本屈指の鉱物収集家で、研究者としても知られていた櫻井欽一博士のご遺族から寄贈されたもので、大正・昭和時代に稼行されていた、わが国の鉱山から産出した素晴しい結晶鉱物を多数ふくんでいます。新種に関連する研究者を称えて命名する、つまり献名する習慣は自然史のどの分野でもよくありますが、博士の姓と名の両方が別々の新鉱物に献名されており、これは博士の学界における貢献の大きさを示しています。標本の一部は、特別企画展の図録に印刷公表されています。 博士は、昭和7年19歳の若さで、日本鉱物誌第三版編輯委員会委員長の福地信世に認められて委員に推薦されました。 博士は料亭『ぼたん』の経営のかたわら、独学で鉱物学を修めて標本と情報の収集に努力し、その一部は昭和22年12月に日本鉱物誌第三版(上)として、東京大学鉱物学教室伊藤貞一教授との共著として公表されました。 英国の専門誌Mineralogical Magazineは、「戦後の混乱の中でなされた奇蹟の出版」という書評を掲げ、その刊行に最大の敬意を払いました。昭和17年以来、博士は国立科学博物館前身の東京科学博物館に嘱託として勤務し、昭和25年に亜砒藍鉄鉱を、同27年に湯河原沸石を新鉱物として記載しました。 博士51歳の昭和39年、国は紫綬褒章を授与して博士の功に報いました。
欽一石(静岡県河津鉱山)
櫻井鉱(兵庫県生野鉱山)