桜−身近な花をどれだけ知っていますか? (協力:植物研究部 秋山忍)
サクラの生物学
現在日本に自生している野生のサクラは,エドヒガン群・ヤマザクラ群・マメザクラ群・チョウジザクラ群・ミヤマザクラ群にまとめられます。
エドヒガン群にはエドヒガンがあります。がくの筒状の部分の基部が球状に膨らんでいること,枝や葉の柄・花の柄などに斜めに多くの毛が生えること,葉のふちの鋸状のぎざぎざが他より細かいことなどで見分けられます。関東地方でも自生しており,春の彼岸の頃に花が咲くことからこの名前があります。寿命の非常に長いものが多く,数百年から千年にも達するといわれています。現在各地で古木と呼ばれる木の多くがエドヒガンです。
ヤマザクラ群にはヤマザクラ・オオヤマザクラ・カスミザクラ・オオシマザクラが含まれます。花と葉が同時に出るものが多く,ヤマザクラとオオヤマザクラでは葉の色は多くの場合赤茶色です。ヤマザクラは個体変異が大きく,花の色や形、若葉の色などに違いがみられます。オオシマザクラはソメイヨシノを含め,現在栽培されている栽培品種の多くの原種となったと考えられています。
マメザクラ群は低木状であまり大きくなりません。マメザクラとタカネザクラがあります。マメザクラは富士箱根地方に多いためフジザクラとも呼ばれます。葉のふちの鋸状のぎざぎざが二重になっているのが特徴です。
チョウジザクラ群も低木です。チョウジザクラがあります。がくの筒状の部分は長い筒状で,表面に直立する毛が生えています。葉や葉の柄などにも毛が多く見られます。
ミヤマザクラ群の多くは中国に分布しますが,日本海を取り巻くように分布するミヤマザクラは日本でも見ることができます。他のサクラとは花のつき方が大きく違い,数個の花が短い穂のようについています。花の時期も他より遅く,5月の末から6月に真っ白の花をつけます。
ソメイヨシノをはじめ現在わたしたちの身近に見られるサクラの多くは,野生種を交配,あるいは野生種の変異を保存してつくられた栽培品種です。
サクラはしばしば他の野生種や栽培品種と交配して雑種が生じます。この雑種のうち人間にとって美しいもの,病害に強いものなどを選んで,新たな品種として育てることが古くから行われてきました。
栽培品種では,親株と全く同じ遺伝子を持った子株を種子から育てることは難しいため,親の遺伝子を維持したい場合は接木や挿し木など,親の一部を新たな株として成長させる方法をとります。
ソメイヨシノは江戸時代末期から明治の初めに掛けて,オオシマザクラとエドヒガンの一種との交配で生まれたと言われています。誕生の経緯は残念ながらあまりよくわかっていませんが,江戸染井村(現在の豊島区)の植木屋が「吉野桜」と売り出したのが最初の記録のようです。
吉野桜の吉野とは奈良・吉野山のことで,当時全国随一の桜の名所として知られていました。東京にいながら吉野の桜が見られる,というイメージの良さも手伝ったのでしょうか,「吉野桜」は人気を博します。しかし吉野山で実際に見られた桜はヤマザクラで,「吉野桜」とは全く異なるものでした。そこで1900年,東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)の藤野寄命が新たに「染井吉野」と名づけ,その翌年には東京帝国大学(現東京大学)の松村任三教授により学名は
Prunus yedoensisと命名されました。
ソメイヨシノはふつう接木により増殖されてきました。このため多くのソメイヨシノは1本の木から増やされたクローン植物で,遺伝的多様性が乏しいと言われています。全ての木の遺伝子分析が行なわれなければ確実なことはいえませんが,遺伝子が同じだとすれば同じ地域の花がほとんど同時に咲くことも説明がつきます。
遺伝子の多様性が低いと,環境の変化や病気に対する抵抗力が低くなります。実際ソメイヨシノは天狗巣病(※3)や排気ガスに弱く,寿命はおよそ60年と,他のサクラと比べて短命だともいわれています。樹齢100年を超えるソメイヨシノが現存することも事実であり,適切な管理によって樹勢を取り戻した木もありますが,わたしたちの周りに見られるソメイヨシノの中には戦後間もなく植栽され,樹齢60年を迎えつつあるものが少なくないため,今後寿命を迎えるものが増えてくるのではないかと心配されています。
※3 天狗巣病は糸状菌の一種
Taphrina wiesneri (Rath.) Mixによって起こる感染症です。枝の一部が瘤状に膨らんで大きくなり,小枝が箒のように伸びます。この部分には花がつかず,花の時期には葉が出て緑色に見えます。感染のメカニズムはよくわかっておらず,治療は今のところ病巣を見つけ次第その部分を切り取って焼却するしかありません。サクラは剪定に弱く,枝を切るとその部分から腐りやすいため,切った後には殺菌と癒合促進の処置が必要になります。