2008-04-01
桜−身近な花をどれだけ知っていますか? (協力:植物研究部 秋山忍)
上野の桜と桜守の会
日本の花見の歴史は長く,古くは『日本後紀』や『源氏物語』『徒然草』などに書き残されています。安土桃山時代には豊臣秀吉が京都,醍醐寺で1000人を越える配下とともに大規模な花見の宴(醍醐の花見)を催しました。
東京・上野が現在のような桜の名所としての道を歩み始めたのは江戸時代の初期。家康から家光までの徳川三代に仕え,徳川家の菩提寺として上野に寛永寺を建立した天台宗の僧,天海が上野の山の景観向上のため,奈良・吉野山から山桜の苗を取り寄せて山内に植えさせたのが最初とされています。
この桜は一般にも開放されましたが,花の下での飲食禁止,鳴り物禁止,暮6つの鐘とともに門外へ退場しなければならないと定められており,現在の花見とは様相が全く異なったものであったようです。
その後8代将軍徳川吉宗が江戸の各地に桜を植え,花見を奨励したことで,現在に近い形の花見が庶民に広まりました。
江戸時代の末,1868年7月,旧幕府軍彰義隊と新政府軍との間で戦われた上野戦争により,寛永寺は本堂にあたる根本中堂をはじめとする主要伽藍の多くを焼失しました。その跡地は1873年に公園とされ,汽車の煤煙による公害や関東大震災,戦争など様々な困難を経つつも,地域の人々などの手によって桜は植え継がれ,現在の形にまで育成・整備されてきました。
現在では3月下旬から4月上旬に開花するソメイヨシノをはじめとして,早春にはカンザクラのなかま,ソメイヨシノの後にはカスミザクラなど,50を越える種類の桜を次々に楽しむことができます。
国立科学博物館にも,上野公園内ではここでしか見られない品種「アマギヨシノ」があります。アマギヨシノはソメイヨシノの起源を研究する過程でつくられたもので,オオシマザクラとエドヒガンとを人工的に交配したものです。ソメイヨシノよりやや大振りの,真っ白な花を咲かせます。
近年上野公園では,先に取り上げた「ソメイヨシノの寿命は60年」説や,説の真偽はどうあれ老化し,樹勢が衰えた木が増えるなど,桜の今後が心配されることも増えてきました。
そこで2006(平成18)年,上野の桜を守り育て,また桜について学ぶことを目的とした「上野桜守の会」が上野地区有志によって結成されました。現在ある桜の健康管理,若木の育成,他の地域から譲り受けた苗の育成のほか,現状の調査のための観察会,桜の勉強会などを行っています。
美しい桜を来年も,その先も末永く楽しむために。桜を学び,守っていく活動を是非ご理解,またご支援ください。
(研究推進課 西村美里)
写真:科博クジラ脇のアマギヨシノ(4月1日撮影)