2010-08-20
日本最古の鉱物の示す真実 --- 日本列島が出来た場所とは?
日本列島が出来るまで --- もっと大きな地球スケールで考えてみよう!
日本のある場所から発見された地質学的な情報から、地球的な規模の大きな変動について検討することが出来ることがあります。今回の日本最古の鉱物の発見をきっかけに、とても長い地球の歴史について、日本列島の起源やこれまで明らかにされていることを含めて、大きな地球環境変動をイメージしてみましょう。
地球は今からおよそ46億年前に誕生しました。その原料となったのは、隕石のような太陽系の周りを回る小さな天体、微惑星で、地球やその他の惑星がつくられる以前の太陽系には、たくさんの微惑星があったと考えられています。それらが衝突・合体し現在のような惑星にまで成長したと言われています。いくつもの微惑星の衝突によって、暖められた惑星の表面は岩石の融点を超えて、マグマの海、マグマオーシャンとなっていました。マグマオーシャンが出来たとき、微惑星の中に含まれていた気体になりやすい成分は蒸発して地球を取り囲んでいました。その中に含まれていた水蒸気が地表で冷えると雨となって降り注ぎ、海をつくりました。40億年以上前のことです。ちなみに、地球上で最も古いジルコンは約44億年前のもので、そのころには地殻が出来始めていた可能性があります。
40億年前からおよそ30億年間、その当時の日本がどこにあり、どのような形をしていたのかは、今のところよく分かっていません。地球全体で見ると、35億年前には既に最初の生命が誕生し、25億年前には多細胞生物が現れていたと考えられています。ストロマトライトなどの光合成生物によってつくられた酸素が、地球全体に濃厚に行き渡るようになったと考えられています。
12億〜10億年前頃、それまでばらばらに存在していた大陸がプレート運動に乗って集合し、ロディニアと呼ばれる超大陸ができました。当時の日本は、この大陸のごく端の一部にあったと考えられています。その真下にはスーパープルームとよばれるマントルの巨大な上昇流がわき上がり、大陸を押し割りつつありました。海底に堆積した 砂や泥・石灰岩がその熱によって変成したものの一部が飛騨片麻岩で、日本がかつて超大陸の裂け目の上に乗っていたことの証拠といわれています。
超大陸の裂け目は次第に広がっていき、7億年前の頃には新しい海、太平洋になりました。日本は、超大陸ロディニアから分裂した幾つもの小大陸のひとつで後に東アジアになったと言われる南中国地塊(揚子(ヤンツー)地塊)の端にあり、赤道の直下あたりに位置していたと考えられます。
揚子地塊はプレートの運動により、次第に北上を始めていました。およそ4億年をかけ、現在の位置に近づいてきました。古生代末の南中国地塊(揚子地塊)は、現在の台湾や香港などの少し南までは来ていたのではないかと考えられています。そして、中生代初めにかけて、後に中央・北アジアとなる北中国地塊(中朝地塊)に衝突します。アジア大陸の誕生です。アジア大陸の東側には、古太平洋が広がりました。古太平洋の海底に溜まった堆積物を乗せ、ファラロンプレート(後の太平洋プレート)が大陸の下に沈み込みます。
中生代の1億5000万年間、日本はアジア大陸の端にあり、海洋底の堆積物の付加により少しずつ、海側に向けて成長していきました。そして新生代半ばになると大陸から切り離されて、日本海誕生、日本列島の形成へ向かっていくことになるのです。
日本館3階の展示では、こういった、日本列島の形成の歴史について、実物の岩石標本とともに見ることが出来ます。なお、今回の発見を受けて、当館日本館3階の展示パネル「日本最古の砂粒」を更新する予定です。また、NEWS展示ミニ「日本最古の砂粒」として内容紹介を行います。
是非本物をご覧になりながら、地球や日本列島の長い歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
監修・協力
堤 之恭 国立科学博物館 地学研究部 研究員