2008-09-25
マリントキシン−毒を持つ魚介類に注意!− (協力:コレクションディレクター 松浦啓一)
日本人のフグ食の歴史
日本人とフグとの関わりは古く,約2万年前の旧石器時代の出土品の中からフグ科の骨が見つかっています。縄文時代,狩猟・採集・漁撈の生活の中でも,スズキやタイと共に各地の貝塚からフグ科の骨が見つかっており,好んで食べられていたらしいことが判っています。
この頃のフグに現在のような毒があったかどうか,という議論があります。先に述べたようにフグの毒は自身で生産したものではなく生物濃縮によって獲得したものです。この時代の海にテトロドトキシンを生産する真正細菌が存在したかどうかを調べることで,フグの毒の有無,あったとすれば毒の強弱も明らかになっていく筈です。
その後の農耕の発達で魚介資源への依存度が下がり,フグについての目だった遺物は見つからなくなります。
安土桃山時代,豊臣秀吉が朝鮮半島へ侵攻します(1592〜1598年)。その途上,半島への兵站拠点として肥前名護屋(現在の佐賀県唐津市)に陣を張りましたが,ここに集まった将兵の中にフグを食べて中毒死する者が相次いだため,秀吉は『河豚食用禁止の令』を発布しフグ食を禁止しました。この禁令は武家に対しては江戸時代も続き,中毒死者を出した家にはお家断絶などの厳しい処分が科せられました。一方で庶民の間では案外食べ続けられたようで,その分中毒死もあったようです。
フグ解禁のきっかけとして有力な説に,初代内閣総理大臣,伊藤博文が下関で出されたフグの味に感心して禁を解いた,というものがあります。
1888(明治21)年,伊藤は下関の旅館『春帆楼』に滞在していました。この時周辺の天候は時化で良い魚が取れず,もてなしの料理に困った女将は処罰を承知でおそるおそるフグの刺身を差し出しました。それが旨いと感動した伊藤は,女将にこれは何の魚かと尋ねます。そして禁制のフグであること,調理法を誤らなければ中毒しないことを教えられ,山口県内に限って食用を認めたといいます(※1)。
こうして一部地域に限り食用を認められたフグは官政の保護の下,高級料理としての道を歩み始めます。下関市内ではフグ料理屋が増え,東京にフグを輸送して販売する店も現れました。
全国でフグ解禁となり,現在のような各都道府県の免許制度が始まったのは,第2次世界大戦後のことです。
※1 解禁の時期と地域については他にも諸説があり,はっきりしていません。