2020-03-30
日本人の貢献が大きいリチウムイオン電池の実用化
(3)電池が変える世界
左:屋井乾電池(明治時代)、右:Milburn 電気自動車(1920年頃)【河野エジソンコレクション】
そもそも電気に関する科学が開かれたのは、ボルタが電池を発明してからです。二種類の金属を電解液に浸して安定した電流を得ることができるようになり、電気に関する研究が進んだのです。その後より長時間、より強い電気が得られる電池がいろいろ発明され、電信機やめっきの電源などにも活用されるようになりました。フランスのG. Planteが繰り返し充電できる鉛蓄電池を発明したのは1859年です。
電信や電気治療器、電気めっきなどに関する知識が日本に伝わったのは幕末で、当館の成り立ちとも関係の深い田中芳男も1860(万延元)年に電池を自作して金属めっきを行っています。1880年代になると日本でも藤岡市助、田岡忠次郎、加藤木重教、西方七郎らが蓄電池の試作を行っています。そして携帯用として画期的な乾電池を屋井先蔵が考案するのが1887年頃です。
繰り返し充電できて、気軽に持ち運べる大容量電池が実現すれば、社会が変わります。昔、電気自動車がたくさん走っていた時代がありました。1900年頃の米国では自動車の約3割は電気自動車だったのです。しかし電池容量の不足による走行距離の限界などから、ガソリン自動車に圧倒されてしまいました。ところが今再び電気自動車の時代を迎えようとしています。それはリチウムイオン電池に代表される二次電池の技術革新によるところが大きいのです。さらに資源・環境・エネルギー問題の解決にむけ、電力エネルギー貯蔵システムへの応用にも期待が高まっています。
<執筆・監修>
国立科学博物館 理工学研究部 科学技術史グループ グループ長 前島正裕