2021-03-05

「令和2年7月豪雨」で被災した人吉城歴史館所蔵の植物標本レスキュー(Part.2)

ページリンク
※この記事は以下のページで構成されています。ご覧ください。
前原勘次郎と球磨地方の植物研究
植物の重複標本と標本交換の文化
浮き彫りになった課題、そして返還に向けて

前原勘次郎と球磨地方の植物研究

(左)前原勘次郎 著『南肥植物誌』(当館図書室所蔵)。
(右)国立科学博物館所蔵のヒトヨシテンナンショウ Arisaema mayebarae 副基準標本。

 日本のどこにどんな植物が分布しているのか、その解明は大学などの研究機関に所属する学者たちと熱心な地方のナチュラリストたちとの協働なくしては実現できないものでした。前原勘次郎(1890-1975)もその一人であり、教職の合間に熊本県南部の植物をくまなく調査し、確認された植物の種名をまとめた『南肥植物誌』(1932年)を出版しました<リンク1>。前原が採集した標本は、京都大学の小泉源一・田川基二、東京大学の中井猛之進ら多くの研究者に同定依頼のために送られ、その中からはたくさんの新種が発表されました。ヒトヨシテンナンショウ Arisaema mayebarae、オオキヨズミシダPolystichum mayebaraeなど、献名された学名にも前原の功績を偲ぶことができます。『南肥植物誌』の出版のきっかけは、1931年の昭和天皇行幸時に県を挙げて企画された天覧標本の収集でした。それを機に始まった熊本記念植物採集会<リンク2>は90年後の現在も活動が続いており、熊本県の植物相解明の取り組みが脈々と受け継がれています。


ページリンク
※この記事は以下のページで構成されています。ご覧ください。
前原勘次郎と球磨地方の植物研究
植物の重複標本と標本交換の文化
浮き彫りになった課題、そして返還に向けて